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2012年05月03日

国家公務員総合職 専門・問題(民法問20)

こんにちは。東京アカデミー町田校の福島です。
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さて、今日も1問解いてみましょう。

法律区分=専門 民法
問20
次の文章は、錯誤に関する大審院判決の抜粋である。
当該判決の錯誤についての考え方に関する
ア〜オの記述のうち、
妥当なもののみをすべて挙げているものはどれか。

「意思表示ニ於ケル錯誤トハ内心的効果意思ト
 意思表示ノ内容タル表示的効果意思トノ間ニ於ケル不慮ノ不一致ナレハ
 民法第九十五条ニ所謂法律行為ノ要素ノ錯誤モ亦
 意思表示ノ内容ニ存セサルヘカラサルハ当然ナリト雖
 意思表示ノ内容ナルモノハ抽象的ニ一定スルモノニアラスシテ
 各箇ノ具体的表示ニ依リ夫夫定ムルモノナレハ
 同一ノ事実ハ具体的表示ノ有無ニ依リ
 或ハ意思表示ノ内容ナルコトアリ
 或ハ意思表示ノ内容ナラサルコトアルモノトス
 従テ通常意思表示ノ縁由ニ属スヘキ事実ト雖
 表意者カ之ヲ以テ意思表示ノ内容ニ加フル意思ヲ
 明示又ハ黙示シタルトキハ意思表示ノ内容ヲ組成スル」

ア この考え方は、
  法律行為において意思を重視する意思主義を徹底する立場であり、
  錯誤は内心的効果意思の不存在の場合にのみ成立するもので、
  動機の錯誤は、動機が明示的に
  法律行為の条件・特約などの形で合意されていた場合に
  問題となるにすぎないとするものである。
イ この考え方は、
  錯誤を表示に対応する真意の不存在ととらえ、
  動機の錯誤も、他の錯誤と同じく錯誤であるとするもので、
  無効となるかどうかは、
  表意者の保護と他方当事者の取引の安全の保護との調整の問題として
  一元的に規律すべきであるとするものである。
ウ この考え方に対しては、
  内容の錯誤(表示行為の意味における錯誤)と
  動機の錯誤を明確に区別することはできないという批判がある。
エ この考え方に対しては、
  取引の安全の保護との調整という観点からは、
  錯誤による意思表示を無効とすべきか否かの判断に、
  相手方の善意悪意や過失といった事情も
  考慮に入れるべきだという批判がある。
オ この考え方に対しては、行動の契機である動機と、
  法律効果を直接に意欲する意思は、
  一元的にとらえることはできないという批判がある。

1.オ
2.ウ、エ
3.ア、イ、オ
4.ア、ウ、エ
5.イ、ウ、エ、オ


正答2
設問の判例は、大判大3・12・15民録20輯1101頁です。
基本書と呼ばれる本でこの判旨を載せているものは非常に少ないと思います。
大村敦志「民法読解 総則編」(有斐閣)315頁がドンピシャでしたが、普通の受験生は読まないでしょう。
そのほか、中川敏宏ほか「ハイブリッド民法総則」(法律文化社)178頁。
せめて、大判大6・2・24民録23輯284頁の受胎馬錯誤事件でしょう、と思うのですが、
問題をよく読めばアは間違いだといえるからいいんですけれどネ。
出題者がマニアックなものを出題したナ〜という印象の問題です。
でも、有斐閣の判例六法には95条のところで2箇所で引用されている・・・それで、そこで出題をしたのかな〜という。

さて。

民法95条は「意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない」と規定しています。しかし、この「錯誤」とは何かについては、議論があります。
民法の起草者は、意思表示の外観はあるがそれに対応する意思がない場合を指して「意思の不存在(以前は、『意思の欠缺』)」(民法101条1項参照)ということばを使用しています(平野裕之「コア・テキスト民法T民法総則」(信山社)125頁)。93条の「心裡留保」、94条の「虚偽表示」が該当し、いずれも意思がない契約は無効とされています。95条も同様に位置付けて、意思表示の効力の根拠である意思がないから無効という扱いにしました(意思理論)。詐欺や強迫(「瑕疵ある意思表示」)とは異なることはテキストや授業で聴いていると思います。
錯誤は、意思不存在(意思欠缺)としての錯誤として、@表示上の錯誤(表意者が考えていなかった表示手段を使用したために、意思欠缺が生じた場合。書き間違いや言い間違いの場合)と、A内容の錯誤(表意者は考えたとおりの表示手段を用いたけれども、その表示手段の持つ意味を誤解していたために、意思欠缺が生じた場合)があります。@Aをあわせて表示錯誤(意思欠缺錯誤、意思不存在型錯誤=平野127頁、表示行為の錯誤=四宮和夫・能見善久「民法総則(第8版)」(弘文堂)214頁)と言います(佐久間毅「民法の基礎1総則(第3版)」(有斐閣)145頁)。
これに対して、表意者は効果意思を形成する前段階の動機において誤っているに過ぎず、意思欠缺は生じていない錯誤を動機の錯誤といいます(佐久間147頁)。
伝統的学説は、動機の錯誤と表示錯誤を区別し、表示錯誤は民法95条の錯誤に該当するが、動機の錯誤は該当しないとします(二元的構成)。しかし、最近は、両者を区別することなく扱う説が有力になっています(一元的構成)(四宮・能見214頁)。

具体的には以下のような学説の対立があります(川井健「民法概論1民法総則(第4版)」有斐閣171頁)。

動機排除説(起草者見解、当初の学説、現在の少数説)
;動機は、表意者の心の中にあるものだから、その表示の有無を問わず、95条の錯誤にはならないとするのがかつての学説(梅)。法律行為において意思を重視するという意思主義の立場であり、錯誤は意思の不存在の場合に限り成立するとします。
ただし、動機を条件とした場合には要素の錯誤になるというのが当時の学説(富井・鳩山)。
現在でも、錯誤が意思の不存在の場合に限られ、動機は特約などで合意された場合にのみ錯誤の対象となるとする学説があります(高森八四郎)。

動機表示必要説
;動機は当然には錯誤にはならないけれども、動機に属すべき事由を明示的または黙示的に「意思表示の内容」とした場合には、要素の錯誤となり無効の主張ができる(大判大3・12・15民録20輯1101頁)。この判例が黙示の場合でも意思表示の内容とした場合も含めていると明示している基本書は、四宮和夫「民法総則(第4版補訂版)」(弘文堂)175頁、佐久間154頁、中川ハイブリッド178頁。なお、最判平1・9・14判時1336号93頁は佐久間154頁、中川ハイブリッド178頁だけではなく、川井172頁、四宮・能見219頁注3でも引用されています。

動機表示不要説
;意思表示と動機は区別することができないのであって、表示に対応する真意が欠けているという意味で、いわゆる動機の錯誤も民法95条にいう「錯誤」であり、無効となるかどうかは、要素かどうか、重大な過失がないかどうかによって決すべきだとする説です。この学説は、従来錯誤が問題となる事案のほとんどがいわゆる動機の錯誤に関するものであって、動機の錯誤が錯誤の代表的な場合であり、この場合を救済しなければ95条は無意味となること、表示の錯誤の場合と区別して動機の錯誤についてだけ表示を問題にすることは妥当ではないこと、意思と動機の区別は困難であること、などを指摘しています(以上、川井171〜2頁参照)。
動機の錯誤は内容の錯誤か、実際には微妙な場合が少なくないこと、錯誤における表意者の保護は、相手方の取引安全保護との利益衡量によって判断されるべき政策的問題であることも指摘されています(平野130頁)。この立場からは、どのような動機の錯誤でもそれを理由に意思表示の無効を主張できるとすると、取引の安全を害するので、錯誤無効を主張出来る動機の錯誤には一定の歯止めが必要となる。そのために、相手方の認識可能性を要求する説(川島)も有力です(四宮・能見214頁)。

設問の判例は、いわゆる 二元論(95条にいう錯誤には動機の錯誤は含まれない)の立場です。単なる動機の錯誤は「意思の欠缺(効果意思がないこと)」とはいえず、95条は適用されないとします。もっとも、その立場を貫くときは、動機は相手方には分からないので取引安全保護の観点から、その動機が意思表示の内容として表示されていれば、意思表示の内容の錯誤となり、95条が適用される可能性を認めます(当然、要素の錯誤などの他の要件を充たすことが必要になります)。なお、動機の表示は、明示でも黙示でもよいとされています。

ア;後段の、動機の表示が明示された場合のみに限っている点が誤りです。判旨には「黙示」でもOKと、問題文にもあります。アにいう「この考え方」は動機排除説です。
イ;動機の錯誤も95条にいう「錯誤」に含まれるとする一元論の立場です。したがって、本肢も妥当ではないことになります。
ウ;一元論から二元論に対する批判となります。したがって、「この考え方」は二元論を指すので、妥当となります。
エ;一元論から二元論に対する批判(相手方の認識可能性を要求する説を参照)となります。したがって、「この考え方」は二元論を指すので、妥当となります。「表示を要求することによって表意者の保護と取引の安全との調和を図ることは妥当ではなく、相手方の悪意または善意なるについての過失の要件及び『法律行為の要素』の解釈によってはかるべきである」とする舟橋説を紹介する松坂佐一「民法提要 総則(第3版補訂)」(有斐閣)228頁参照。
オ;動機と効果意思は別ものだという主張ですから、二元論から一元論に対する批判となります。したがって「この考え方」は一元論を指すので、妥当ではないことになります。

以上より、妥当な肢はウ、エとなります。
正解は肢2です。
本当は、細かな議論もありますが(細かく学習していると、肢エに対する批判も近時は強いので×としてしまう可能性も・・・逆に間違えてしまうのではないでしょうか)、動機の錯誤に関する判例理論を正しく理解していれば、正答を導くことは容易だと思います。

なお、近時の学説の展開については、山本敬三「民法講義T総則(第3版)有斐閣179頁以下が詳しいです。そこまではまだ出さないんですネ…。

多少マニアックだな〜という判例を出されたので、マニアックに色んな文献をひっぱって解説を書いてみました・・・。


posted by 東京アカデミー町田校 at 20:48| 公務員(大卒程度) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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